内村航平の学歴まとめ!母校は偏差値59の東洋高校?中学・大学も確認!

内村航平さんといえば、オリンピックに3回連続出場し、3つの金メダルと、4つの銀メダルを獲得したレジェンドですよね。

世界体操選手権でも、誰も成し遂げられなかった6連覇、19個のメダルを獲得しています。

そんな内村航平さんですが、どのような学生時代を過ごしてきたかが気になりますよね。

今回は、内村航平さんの学歴について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

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内村航平の学歴まとめ!出身中学はどこ?

長崎出身の内村航平さんは、両親と妹の4人家族のもと育ちました。

家族全員が体操選手で、3歳から両親が運営している「スポーツクラブ内村」で体操をはじめます。

父は、内村和久さん。日本体育大学出身で、高校時代は総体でも優勝した経験もあります。

母は、内村周子さん。父と同じく体操選手として活躍し、九州大会で優勝経験もあります。

妹の春日さんも日体大出身で、元体操選手という、筋金入りの体操一家で育った内村航平さん。

「スポーツクラブ内村」で体操を学び始めた内村航平さんですが、両親は決して無理強いをせずに、のびのびと楽しませたそうです。

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幼少期は、両親が借金して作ったと船の貨物用コンテナで作った体操クラブが、居住スペースでもあったそうです。

夏は冷房がなく、冬も暖房がないという過酷な状況で、7畳に家族4人暮らしをしていました。

ジム兼家というそのコンテナには、虫も湧いたり冬は結露で滑りやすくなったり、鉄棒にもサビがついている状態だったそうです。

そんな内村航平さんは、地元の諫早市立みはる台小学校に入学します。

小学生時代も、自宅のトランポリンに夢中になって、友達と遊ぶこともほぼなかったといいます。

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心配した母・周子さんは、「友達と遊んだり、野球したりしたら?」と言いますが、一切興味を示さなかったそうです。

この時から内村航平さんは、体操しか頭になかったそうで、毎日体操の練習に明け暮れる日々でした。

意外にも、体操以外の運動はまったくできず、いつもビリだったそうです。

小学校卒業後、諫早市立諫早中学校に進学した内村航平さんは、相変わらず自宅で体操をやり続ける日々でした。

体育館や音楽室、廊下でバック宙を披露し、得意げな顔をしていたそうですよ。

「最初は、ただ単に跳んだり跳ねたりするのが楽しくて。それで知らないうちに始めていました。本格的に練習を始めてからも、回ったりひねったりするのが楽しかった。日常生活では見られない景色を見られるのが面白かったんです」
スポーツ報知より引用

その頃からオリンピックに出たいという漠然な思いはあったのですが、ただ体操が楽しく、そこまで欲はなかったそうです。

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全国中学校体操競技選手権大会にも出場しましたが、個人総合42位という結果に終わっています

そのときも悔しさはなく、出場できたことが嬉しかったそうです。

「両親からは何も言われなかったから、自分でやりたいことをやっていましたね。当時は、全中へ行けたらいいなという程度でした。だから通し(4種目/ゆか・あん馬・跳馬・鉄棒)の練習はやったこともなくて、試合はいつもぶっつけ本番だったんです。」
スポーツ報知より引用

練習も自分がきついと思うことはせず、すごく楽しく体操ができたといいます。だからこそ、今まで続けられたのでしょうね。

内村航平の母校は偏差値59の東洋高校?エピソードも!

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内村航平さんは中学卒業後、上京して東洋高校(偏差値59)に進学します。

同校はスポーツが盛んで、幅広い競技で有名選手を輩出しています。

今まで通し(全種目)の練習もしたことがなかった内村航平さん。

高校入学後、初めてやったのですが、柔軟性もなく、かなりきつかったそうです。

最初は基礎や補強ばかりで楽しくなかったそうですが、高校2年生から結果が出てくるようになります。

そして、高校入学と同時に、名門・朝日生命体操クラブに入部します。このときから、内村航平さんの体操人生が変わりはじめました。

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高校3年生で全日本ジュニアにい出場し、個人総合を総なめにして一気に知名度を高めます。

2006年には、高校生ながらも、ナショナルチームの一員に抜擢されました。

両親は上京には反対だったのですが、内村航平さんは塚原直也さんに憧れて、東洋高校を選んだそうです。

おそらく体操の推薦で入学したのでしょうね。

内村航平の最終学歴を確認!日本体育大学卒との噂も?

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内村航平さんは高校卒業後、体操の名門・日本体育大学(偏差値:47)に進学しました。

そして、全日本選手権で初優勝し、2008年には北京オリンピックにも出場します。

このとき、個人総合と団体総合で銀メダルを獲得しています。

そして、2009年の世界選手権にて、初の個人総合タイトルを獲得しました

それ以来は、世界選手権6連覇、ロンドンオリンピックでは、個人総合金メダルも獲得しています。

ロンドンオリンピックの予選では9位となったものの、決勝では悲願の個人総合金メダルを獲得します。

それを機に、海外でも「キング」と呼ばれ始めました。

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2016年のリオオリンピックでは、体操の歴史上44年ぶりとなる2連覇を達成し、日本中が歓喜に湧きましたね。

この大会では、ウクライナのオルグ・ベルニャエフ選手に0.901点と差をつけられていたのです。

しかし、得意の鉄棒で、高難度の技を決めて、着地もぴったり決めていました。

内村航平さんも、「これで勝てないなら後悔はない」というほどの演技で、大差をひっくり返して、大逆転を果たしたのです。

オリンピックでは計7つのメダル、世界選手権では19個のメダルを獲得しています。この記録は世界最多で、いまだに破られていません。

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内村航平さんは大学生になったとき、もうオリンピックもハッキリ見えるようになったそうです。

内村航平さんの背中を追い、白井健三さんたち後進も世界トップレベルと成長したり、大きな役割を果たしました。

2011年には、内村航平さんがコナミスポーツに入社し、めきめきと実力を伸ばしていきます

そして、2016年12月には、内村航平さんが日本で初めてプロ体操選手になることを発表します

自身がプロになることで、露出が増えて、子どもたちや多くの人に体操の素晴らしさを知ってもらえると考えたそうです。

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内村航平さんは自身のことだけでなく、今後の日本体操界を考えて、プロになるという決意を決めたのですね。

2017年3月、内村航平さんは、出身地の長崎発祥外食チェーン「リンガーハット」と契約をかわしました。

内村航平さん自身は東京オリンピックで引退を予定していますが、契約期間は202112月末までとなっています。

引退した後も、リンガーハットとは食育や体操教室といったように、パートナーシップが続けられていくようです。

現在東京オリンピックの開催中止が危ぶまれていますが、最後に雄姿を見せてほしいですね。

 

まとめ

今回は、内村航平さんの学歴について、紹介しました。

幼少期から体操漬けだった内村航平さんですが、諫早市立諫早中学校時代はあまり目立った成績を残していないようです。

東洋高校時代から頭角をあらわし、日本体育大学に進学するころにはすでに一流の選手となっていました。

これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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