山縣亮太の家族構成や兄弟を確認!両親はスポーツ店経営?先祖は山縣有朋!

2021年東京オリンピックに出場が決まっているう、陸上男子100m代表の山縣亮太選手。

幾度となく怪我に苦しみなが、10秒を切る日本新記録をたたき出す、トップアスリートです。

そんな山縣亮太さんの家族構成や、兄弟が気になっている人も多いのではないでしょうか。

今回は、山縣亮太さんの家族について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

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山縣亮太の家族構成や兄弟を確認!家系が凄い?先祖は山縣有朋?

山縣亮太さんは、両親と2歳年上の兄という4人家族のもと、生まれ育ちました。

父:山縣浩一さんは61歳、母:山縣美津江さんは64歳、兄:山縣昌平さんは31歳になります。山縣亮太さんの両親は姉さん女房なんですね!

山縣亮太さんの祖先は幕末~明治にかけて活躍した国軍の父・山縣有朋では?と言われているのですが、直接の子孫では無いようです。

山縣有朋は現代人にあまり名前を知られていないのですが、明治大正にかけての偉大な政治家でした。

倒幕の過程でも西郷隆盛と親密な関係を築き、明治維新後は陸軍中将となって、国軍の実権を握っていました。

軍政家として功績を残しており、国軍の父と崇められていました。生涯をかけて、新政府に尽力した人物です。

さらには、その後2度も内閣総理大臣を勤めています。

山縣有朋は妻との間に7人の子を授かっていますが、女児1人以外亡くなっています。

その後再婚するも跡継ぎがおらず、姉の次男・伊三郎を養子として迎えいれました。

しかし、山縣姓である有朋の直接の子孫は、現在残っていないそうです。

山縣亮太の両親はどんな人?父親はスポーツ店経営!エピソードも

山縣亮太さんの父・浩一さんは、地元の広島県で「株式会社ニシヒロ」を経営しています。

ニシヒロはスポーツ用品を販売している「NISHIHIRO」、スポーツ用品のメンテナンス、学校体操服の販売などをしています。

陸上選手である山縣亮太さんにとって、実家がスポーツ用品店というのはとても良い環境ですね。ただ主力商品はサッカー用品だそうです(笑)

また、地元広島のサッカーチームである「サンフレッチェ広島」のグッズも取り扱っているそうで、事業拡大中のようですよ。かなり敏腕社長みたいですね!

山縣亮太さんがケガなどで苦しんでいた時は、浩一さんとともに釣りにいってリフレッシュしていました。

父は山縣亮太さんの壮行会を開いたり、会社のホームページで山縣亮太さんの紹介をしています。

浩一さんの子育て論は、意外にも『誉め続けること』。

「勉強をやりなさいと言って、亮太の悪いところは当然怒るんですけど、陸上で怒ったことはない」と幼い頃を振り返った。「9秒97とか96とか、日本新が出る映像を夢見ながらレースを見るんです。実際は本当に頭が真っ白になって、現実とは受け入れられなかった。願いはかなうなという、いい経験をさせてもらった。願わないとダメですね。本当に親孝行です」
THEanswerより引用

山縣亮太さんを誉め続けることにより、才能を伸ばしてサポートしてきたそうです。

山縣亮太さんの活躍をずっと見守ってきたからこそ、日本一となった息子の活躍が、父の活力になっていることでしょう。

山縣亮太さんはロンドン、リオデジャネイロと2回もオリンピックに出場されていますし、東京オリンピックの代表にも内定したので、3回目のオリンピックとなります。

さぞ父も喜んでいるでしょうね。

山縣亮太さんは広島にある私立の中高一貫校・修道学園出身なのですが、実は父も同じ学校出身です。

ロンドンオリンピックのあとには、親子で母校を表敬訪問しています。

そして、母の美津恵さんは父の3歳年上です。

山縣亮太さんは慶應義塾大学を卒業後、大手時計会社のセイコーホールディングスに入社しています。

初任給は両親に何か買ってあげようと使い道について話しており、「母親が梅酒が好き」と話していました。

美津江さんはとても品があって、美人さんです。山縣亮太さんもイケメンですから、しっかり母の血を受け継いでいますね。

広島は酒どころとして有名ですから、初任給でプレゼントした梅酒を家族で楽しんだかもしれませんね。

2016年のリオデジャネイロオリンピックに出場が決定した際には、「両親がいなければここまで続けてこれなかった」と話していますので、山縣亮太さんにとって両親は心の支えだったのでしょう。

また、美津江さんは、「こんなに恵まれた母は世界中どこにもいない」と感無量の様子でした。

山縣亮太の兄が話題!陸上選手ってホント?画像

山縣亮太さんの兄・昌平さんは、山縣亮太さんより2歳年上です。

山縣亮太さんが陸上をはじめたきっかけは兄だったそうで、昔は陸上をやっていたのですが、現在も続けているかは不明でした。

兄が陸上の大会で入賞し、表彰されたのを目にした山縣亮太さんは、「自分も賞状がほしい」と思ったそうです。

その1年後、同じ大会の小学校4年生の部に出場した山縣亮太さんは、100メートルで断トツ優勝します。

メダルまで手にした山縣亮太さんは、地元クラブの目に留まり、スカウトをうけたことで本格的に陸上の道へ進みます。

兄・昌平さんも運動神経抜群なのでしょうね。現在の職業は不明ですが、表舞台に出ていないことから、一般人として生活しているのでしょう。

山縣亮太さんは、誕生したときに1730グラムの未熟児でした。

2か月も早くうまれてしまった超未熟児だったため、NICU(新生児集中治療室)に入り、体にはチューブが通されていました。

浩一さんのノートには「助けてください」「亮太が無事に育つことを祈る」と書かれていましたので、かなり危険な状態だったようです。

退院後も身体は弱く、1年間外出禁止ののちまた緊急入院してしまったりと、何があるか分からない状況でした。

そんな経験があるからこそ、山縣亮太さんは家族へ常に感謝を忘れずに、朝起きて故郷・広島に向かって手を合わせるのが日課だそうです。

まとめ

今回は、山縣亮太さんの家族について、紹介しました。

父はスポーツ用品店を経営しており、幅広い事業を展開している敏腕社長のようですね。

兄も陸上選手だったようですが、現在も続けているかは不明でした。

これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

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