多田修平の出身地は東大阪市の石切?経歴や生い立ちを調査!幼少期の画像を確認

日本の男子陸上短距離選手は、イケメン揃いということで人気も高いですよね。

多田修平選手は、2021年6月におこなわれた日本選手権100m走において、見事優勝に輝き注目を集めています。

そんな多田修平さんですが、出身地や経歴が気になる方も多いのではないでしょうか。

今回は、多田修平さんの出身地について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

スポンサーリンク

多田修平の出身地は東大阪市の石切?調べてみた

多田修平さんは大阪府東大阪市出身です。関西出身のイメージがなかったので、意外でした!

両親と弟の4人家族のもと産まれ育ちましたが、家族についての情報はほぼありませんでした。

今後、多田修平選手が日本代表として活躍して行けば、ご両親にも取材が行くようになって、色々な情報が出てくるかもしれません。

父・秀明さんと母・洋子さんは、多田修平さんのために、毎年京都に出向いて足腰にご利益のある護王神社の御守を買っているそうです。

多田修平さんが試合に持ち歩いているカバンには、両親からもらったお守りがついているそうですよ。

ちなみに弟さんについては全く情報がなかったのですが、多田修平さんにそっくりのイケメンみたいですよ。

実家の場所ですが、大阪府東大阪市石切町付近という情報がありました。現在は大学を卒業して就職したため、一人暮らしをしているようですね。

そんな多田修平さんが陸上競技を始めたのは、中学生になってからだそうです。

小学生までは水泳選手だったのですが、運動会で走ることの楽しさを知り、陸上に転向したそうです。

多田修平の経歴や生い立ちを調査!

東大阪市立石切中学校に進学してからは、めきめきと陸上の実力をつけるようになります。

昔から鬼ごっこが大好きで、かけっこも得意だった多田修平さん。いつも学年で3番目くらいに足が速かったそうです。

最初はただ走ることが好きな選手で、特に目立った成績は残さなかったそうです。

しかし、大阪府中学校総合体育大会では、11秒52の記録を出して5位に入賞します。

中学卒業後、ポーツの強豪校である大阪桐蔭高等学校へ進学しました。

高校時代の陸上部顧問からは、練習日誌をつけるように言われて、毎日日誌を書くようになりました。

まずは大きな目標を決めて、1か月、1週間、今日と、少しずつ目標を立てていったそうです。

毎日日誌を書くことで、多田修平さんの頭の中には、目標ややるべきことがイメージできたといいます。

そのコツコツとやっていった努力が実り、高校3年生でインターハイ6位入賞を果たします。

「僕は大阪府大会で5位通過、近畿大会も5位通過でどちらギリギリだったんです。そこ片インターハイで6位に入ったんですが、高校時代は全国レベルで優勝できるとは考えなくて、大学に入ってからある程度の成績が残せればいいかなと考えていました。」

NumberWebより引用

高校時代に頭角をあらわしたものの、まだ全国レベルには届かなかったようです

そして、2015年に関西学院大学へ進学します

1年生で参加した関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)では、見事優勝を果たします。

なんと、翌年の関西インカレでも大会記録をたただきだし、連覇を成し遂げました。

このときから、だんだんと日本代表になることを意識しだしたそうです。

2017年になると、多田修平さんは初の海外合宿に参加します。その際、元世界記録保持者であるジャマイカ出身のアサファ・パウエル選手と一緒に練習に参加しました。

その時の経験は、のちの陸上人生にかなり影響を与えたそうです。

その年に開催されたゴールデングランプリ川崎では、アメリカのジャスティン・ガトリン選手、日本からはケンブリッジ飛鳥選手や、サニブラウン選手などが出場する中で、3位に入賞します。

翌月に開催された日本学生陸上個人選手権大会では、準決勝で9秒94をマークし、決勝で自己ベストとなる10秒08をたたき出し、見事優勝しています。

日本選手権でサニブラウン選手に続く2位となり、世界選手権大会では日本代表に選ばれることとなります。

世界選手権では4×100mリレーの第1走者に抜擢され、銅メダル獲得に貢献しました

初めて日本代表に選出され、日の丸を背負って走り、銅メダルを獲得できたことは非常に印象に残りました。
住友電工陸上競技部より引用

自己記録の大幅更新から始まり、世界選手権でメダル獲得に貢献と、まさに多田修平さんにとって2017年は飛躍の年になったことでしょう。

しかし、翌年の日本選手権では山縣選手やケンブリッジ飛鳥選手、桐生選手に敗れ、5位という結果に終わってしまいます。

日本代表入りも逃してしまい、多田修平さんの陸上人生で一番悔しい思いをしたと、涙していました。

大学卒業後は住友電工に入社し、社会人になってからも着々と記録を更新し続けています。

そして、2021年6月に行われた「布施スプリント」において、10秒01の自己ベストをマークし、東京オリンピック参加標準記録である10秒05を突破しました。

このときの1位は山縣選手で、日本新記録の9秒95をたたき出しています。

多田修平さんは桐生選手が日本記録を出した際も2位だったので、目の前で2回も日本新記録を出されており、悔しい思いをしたことでしょう。

しかし、続く日本選手権では10秒15をマークし、山縣選手やサニブラウン選手、桐生選手をおさえて初優勝となります。

その結果、見事東京オリンピック日本代表に内定したのです。

9秒台をたたき出した選手が4人もいる激戦大会でしたが、優勝できたことで新たな一歩を踏み出しましたね。

多田修平の幼少期や子供時代の画像はある?徹底調査

多田修平さんは1996年6月24日に大阪府で誕生し、両親と弟の4人家族で育ちました。

小学生のときから走ることが大好きで、鬼ごっこもよくしていたそうです。

誰よりも早く走ることに魅了され、運動会で自らリレーのメンバーに志願していたそうですよ。

ただ、ずば抜けて足が速かったわけではなく、そこそこくらいで、学校内でいつも2、3番目だったそうです。

東大阪石切中学校に進学してからは、陸上部に入部して短距離走者となりました。

毎日の朝練や筋トレにもめげず、真剣に陸上に打ち込んだが、中学時代は一度も全国の舞台を踏んでいない。3年時の中学校総合体育大会では、100メートル走で大阪府5位の記録にとどまった。
週刊現代より引用

中学3年生で11秒52というタイムを記録したものの、陸上選手としては全国レベルに届かないそうです

一般人と比べたら、相当速いタイムですが、陸上の世界は厳しいのですね。

現在、現役日本人で最速タイムを持っている桐生祥秀選手は、中学3年生で10秒87というタイムをたたき出しています。

そう思うと、中学生の時点で多田修平選手は、普通の陸上選手だったということですね。

高校はスポーツの名門・大阪桐蔭高等学校へ進学し、陸上部へ入部します。

しかし1、2年生のときは良い記録を出すことはできず、高校3年生のときに10秒78をマークしますが、結果は6位となりました。

10秒台の壁は破りましたが、桐生祥秀選手の中学3年生記録とあまり変わらないので、注目されるほどの選手ではなかったようですね。

しかし、大学へ進学すると、多田修平さんの才能が一気に開花します。

名だたる大会で上位に名を連ねるようになり、社会人になってもどんどん記録を伸ばしていきます。

ついに2021年には、東京オリンピック日本代表入りを果たし、メダルへの期待が高まっています!

まとめ

今回は、多田修平さんの出身地について、紹介しました。

大阪府東大阪市出身で、幼いころから走ることが大好きな少年だったようです。

中学時代から陸上を始めて、大学時代から頭角を現した遅咲きの選手ですが、現在は東京オリンピック日本代表にも選ばれています。

これからの活躍も期待したいですね!最後まで御覧いただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です